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ウルリッヒ・ヴィルケンス著『ローマ人への手紙』よりの”傾聴”

「ユダヤ人および異邦人に対する信仰の義の普遍性」

(ローマ3:27-31)安黒務説教シリーズ


 メッセージ要約 

ローマ書は、ユダヤ人、ユダヤ教改宗者、異邦人への伝道の書である。そこには、今まで、ユダヤ人が考えてきた旧約聖書とは違う意味で、旧約聖書をどのように受け止めるのかが書かれている。

 

3:27 「それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。」という、ユダヤ人の嘆きのような問いが投げかけられる。神から与えられた「律法」を守り、「割礼」を行ってきた特別な「選民」という「プライド」アブラハムの子孫であり、特権により救われるという「誇り」はどうなってしまうのか?

パウロの答えは「それはすでに取り除かれました。」であった。熱狂的なユダヤ教徒であるユダヤ人から命を狙われても致し方ないような、パウロの冷徹な言葉であった。

 

旧約聖書に書かれた「幕屋」や「神殿」は、ユダヤ人と異邦人を隔てる隔ての壁であった。そうしたものは、この地上にメシアたるキリストが現れたことによって、消え去るのだ。ユダヤ人たちが生きてきた歴史を否定するかのような、言葉が続く。

「行いの原理でしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。」

 

3:28 「人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。」

「律法」の行いでは「義」と認められない!というのである。今までどれだけ儀式を行い、生活に気を配り、食べ物にも気を使ってきたか・・・それなのに、「キリストをメシアと受け入れる事」「キリストの十字架によって、自分の罪が赦される事」を受け入れろというのである。そして、それをただ「恵み」として感謝して受け入れろ!とパウロは言っている。

 

3:29 そして、さらには、「神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人にとっても神ではないのでしょうか。」とたたみかける。

神が唯一であるならば、ユダヤ人の神は、異邦人の神、全人類全ての神であるはずである。

 

3:30 申命記 6:4 にこうある。「シェマー!イスラエル!」「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。」「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申 6:5)

全ての人にとって、イスラエルの神は唯一の神である。すでに、見出している人、そうでない人、様々ではあるが、キリストはその隔ての壁を破壊されたお方であった。

 

割礼を受けていないものも救われるが、受けているものも、同じようにキリストを主であると認めるものは、その信仰によって「義」と認められ、救われる。動物の犠牲によってではなく、キリストの「血」によって「真の神の民」に数えられる。

ペンテコステの日、集まった120名のクリスチャンたちは、教会の初めであった。創世記12:1~3で、アブラハムが祝福されたのは、ユダヤ人、あなたを通して全ての人々が祝福される、救われるという事であった。神に選ばれしユダヤ人、あなた方は地の全ての輩に、神のメッセージを伝える使命を帯びている。しかし、ユダヤ人も使徒たちでさえ、その事を理解していなかった。

 

3:31 パウロに寄せられる批判の嵐、「それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。」そうではない!「律法を確立することになるのです。」

旧約聖書では、卵の中身が硬い卵の殻によって、中の白身や黄身が守られていた。律法を守り、割礼を施し、儀式を行う、その硬い硬い殻によって、人間は神の前にどう生きるべきか?を学んできた。神とはどのようなお方か?、救いとは何なのか?、メシアとはどの様なお方か?

しかし、キリストが地上に来られ、十字架にかかられた時、硬い殻が破られ、本質的な中身が現れたのである。キリストを信じた者には聖霊が宿り、今までは板に書かれた、見る物、読む物であった「律法」が、御霊を通して神の御心を教えて下さるようになった。贖罪において「律法」が真のかたちで満たされたのであり、内住の御霊において律法が本来的な意味で成就される生に生かされるのである。(仁美記) 

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